門松の歴史の話

大田区大森の花屋 門松の歴史

今回は門松の歴史です。

お正月飾り、門松の起源は唐の時代の中国で、正月の「子の日(ねのひ)」に野山で小松を引き、千代を祝うと言う風習があったそうです。もともとは、平安貴族の遊びごとの「小松引き」が由来で、子供の長寿祈願が基になっているようです。

平安貴族の小松引きの行事で持ち帰った「子の日の松」はやがて家族の長寿祈願のために門前に飾るようになりました。現代まで、この流れを受け継ぐのが関西地方では「根引き松」または「根引き若松」を白和紙で包んだものを立てる習わしです。

平安時代に起こった門松の習わしはこのように簡素なものだったのですが、やがて室町時代には本格的に広がり、青竹三本を中心に周囲を若松で囲い下部を竹やワラで巻いて仕上げる形状で屋敷の大きさにあわせて飾るようになりました。この大型の門松は現在でも全国の銀行・百貨店をはじめ一部の住宅で飾られていますが、竹の先端部の形状は、斜めにソギを入れたものと、真横に切ったものの2種類があります。斜めにソギの入ったものを「ソギ」平らなものを「寸胴」と呼びます。

もともとは「寸胴」が門松の基本の形だったそうですが「ソギ」ができたきっかけは徳川家康の生涯唯一の負け戦として知られる「三方が原の合戦」で武田方に叩きのめされた家康は命からがら浜松城へ逃げ帰ります。追って来た武田軍は浜松上を包囲して新年を迎えました。新年の挨拶代わりに武田軍の武将の一人が嫌味な句を作って浜松城内に送りました。「松枯れて竹たぐいなき明日かな」松は浜松の松で徳川に、竹は武田にかけているのです。正月なのに縁起でもないと、激怒した家康が自ら門松の竹を切り捨てたのだそうです。やがて武田軍は引き上げ、徳川の武運が開けていきますが、運にあやかるように徳川側の武将たちはこぞって門松の竹にソギを入れたそうです。

現代の住宅事情により大型の門松を玄関に飾られる方はほとんどいらっしゃいませんが写真のようなミニ門松を玄関の靴入れの上に飾られる方は多いと思います。当店でも年末に販売いたしますのでぜひ。

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